虎ノ門の路地を歩いていたら、鳥居が見えた。
その向こうに、タワーが浮いていた。

鳥居の真上に、暗い天井があった。
タワーの底面——巨大なキャンティレバーの下面——が、鳥居の頭の上で水平に広がっている。空の代わりに、コンクリートの天井がある。なのに鳥居は本物の鳥居で、縄が巻かれ、紙垂が揺れている。
日建設計、2014年。
街路に出て建物を見た。

黒い壁面に「虎ノ門琴平タワー」と書かれていた。
右に曲がると鳥居がある。タワーのエントランスと神社の参道入口が、ほぼ同じ高さ、同じ距離にある。同じ「入口」として設計されているように見えた。
なぜタワーがここに建ったか。
金刀比羅宮東京分社——金毘羅大権現の江戸時代からの出社がこの地にある。再開発にあたり、神社の土地と建物を保存することが前提条件だった。
日建設計の解答は「空中に架ける」だった。神社の地面に構造体を一切置かず、タワーを隣地から巨大なキャンティレバーで跳ね出す。架構の下に神社がある——建物と境内が垂直方向に重なる。

別の路地から境内に入ると、石の鳥居があった。
「金刀比羅宮」と扁額に書かれている。江戸時代のこの地域は「琴平町」と呼ばれた——その名前の由来がここにある。鳥居の右には自販機。左には低い生垣。その向こうに、タワーのガラスが空を映している。

別の角度から見ると、タワーの全体像が見えた。
階段状の敷地の下の方に社殿があり、そこに向かってタワーが大きく張り出している。架構の一辺が浮いている。その下に神社がある。面積で言えば社殿が小さく見えるが、視覚的には社殿の方が目に入る。建物の「重さ」と神社の「存在感」が逆転している。
境内に入った。

社殿の前に立つと、タワーのことを忘れた。
銅製の鳥居、色とりどりの幟、提灯。参拝者が二人、頭を下げていた。後ろを振り返ると、タワーのガラスファサードが青空を映していた。
神社が「守られた」のか、「残された」のか。どちらとも言えなかった。

水盤の前に来た。
水面に社殿が映っていた。水の奥に、暗い縦ルーバーの壁。これはタワーの低層部だ。神社の浄化のための水盤が、タワーの壁面を映している。

奥の社に向かう路地に入ると、緑が深くなった。
砂利、石灯篭、木々。社殿の銅葺き屋根と金の装飾。空は木の梢の間から少ししか見えない。タワーのガラスは、梢の隙間に少し見えた。
設計者として、この建物を見ながら考えたことがある。
建築は「何を残すか」を選ぶことができる。敷地を更地にして新しいものを建てるのが「普通」だとすれば、神社を残したままタワーを建てる判断は、コストも設計難易度も桁違いに上がる。それでもこの方法を選んだのは、おそらく「地名の由来になった場所」を消すことへの抵抗があったからではないかと思う。
建物が「場所の記憶」を抱えることができるとすれば、ここはその一例だ。
街路に戻った。
また鳥居が見えた。今度はタワーの看板と同じフレームに入っていた。
虎ノ門ヒルズ ステーションタワーは少し先にある。2014年と2023年、同じ虎ノ門が選んだ二つの方法がある。



