今日、アクロス福岡を歩いた。
天神交差点の角に立って、見上げた。
空に向かって、緑が積み重なっている。
この建物が生まれたのは、1989年の設計競技だった。
天神——福岡最大の商業・業務地区。アジア最近の日本の玄関口として、この街は常に「次の自分」を探している。そのど真ん中に計画されたのが、このアクロス福岡だ。
設計はエミリオ・アンバース。イタリア生まれ、ニューヨーク育ちのデザイナーで、「緑の建築」を半世紀にわたって追い続けた人物。
なぜ天神に、森が生まれたのか。
答えは、敷地の歴史にある。
この場所にはかつて、天神中央公園が広がっていた。市民の緑地が都市開発に転換されることへの反発があった。アンバースはその声に応えて、奪った緑を屋根の上に返すという構想を提案した。階段状のテラスに植物を植え込み、建物全体を「人工の山」として成立させる——そういう思想だ。
建物に緑を「足す」のではなく、建物が緑に「なる」。
その発想が、他の追随を許さなかった。
竣工から30年以上が経った。
最初に驚いたのはその植物の密度だった。テラスの縁まで緑が溢れ、ところどころ枝が垂れ下がり、葉と葉が絡み合っている。設計当初に植えられた苗木が、時間をかけてここまで育った。
種類は120を超えるという。
原生林に近い、という感想がまず浮かんだ。計算された植栽ではなく、それぞれの植物が光と水を求めて伸びた結果として、この密度が生まれている。建物は植物に「飲み込まれつつある」と言ったほうが近い。
アンバースが設計したのは、完成形ではなく、成長の余地だったのだと思った。
建物には、二つの顔がある。
街路に面した北側は、ガラスカーテンウォールの垂直なファサードだ。天神のオフィスビルとして違和感のない、透明で整然とした外壁。ガラスの皮膚が街を映す場所の話を思い出した——天神という街は、ガラスと緑を同時に扱い続けている。
一方、公園に面した南側は、緑の山だ。
同じ建物に、都市の論理と自然の論理が同居している。
内部に入ると、別の世界が広がった。
アトリウムの吹き抜け。ガラス天井から光が降りてくる。外から見た「山の断面」が、内側では曲線的なバルコニーと大階段として現れている。
外の緑が窓越しに見える。
内側にいながら、植物の気配がある。
この関係——完全に遮断せず、かといって単純に開放するのでもなく、内と外が互いを意識する——が、アンバースの設計の核心だと感じた。
天井を見上げると、鉄骨トラスが幾何学的なパターンを描いていた。
あの階段状の断面が、内側ではこういう構造として表れている。建物の形は思想から来る。「緑を戻す」という意志が、この特異な断面を生み、その断面が構造を規定し、構造が内部の空間体験をつくる——思想と形の連鎖が見えた瞬間だった。
外に出て、もう一度、公園側から全体を見上げた。
記憶と違う街角の近くを歩いたとき、天神という街の変化の速さを感じた。天神ビッグバンが進み、古いビルが次々と新しくなる。それは不可逆な変化だ。
しかしアクロス福岡は、逆の時間を持っている。
新しくなるのではなく、古くなるほどに豊かになる。植物が育つほどに、建物は完成に近づく。都市の再開発が「更新」を繰り返す中で、ここだけ「熟成」が続いている。
案内板に、こう書いてあった。
「いくつの生命と出会えましたか?」
アンバースが設計したのは建物ではなく、生態系のための器だったのかもしれない。
天神のど真ん中に、都市開発に抗う問いが、今日も植物と一緒に成長している。
それが、この建物が「なぜこの街に生まれたか」の答えだと、私は思った。
でも本当のところは、まだよくわからない。
30年後にまた来よう。そのときには、もっと深い森になっているはずだ。




